画題の「陽光早天」は、早朝の天空にきらめく太陽を意味する言葉です。ここでは、深紅に染まった朝焼けの大空に、太陽が今まさに昇らんとし、その煌々とした輝きが、一羽の白鷺の優美な姿を浮かび上がらせています。
画家は「線は私の想いを形にしたもの。この作品は線を多用している。白鷺と松は線の集合体であるが、その線、一本一本に想いを込めて制作した。面白いもので気を抜くと良い線にならない。その全てを神経を集中して完成させた」と、この絵について語っています。
たしかに、陽に透けて見える羽や松葉が緻密で丁寧に描きこまれているのが見て取れますし、塊に見える白鷺の体躯も実は線の集合体です。この《陽光早天》に込められた画伯の気魄が、感じられることでしょう。力強さの中にも、凛とした気品を感じさせる逸品です。
花や樹木を得意とする画家は、現在の日本画壇をリードする人気作家の一人です。とりわけ桜の名手として知られており、ここでは、長野県上伊那郡箕輪町の中曽根集落で取材したヒガンザクラが描かれています。その呼び名は、かたわらの祝殿に祀られた権現様に由来し、樹齢1000年ともいわれる巨木は高さ15m・根本周囲6.7mにもなり、昭和42年(1967)に県の天然記念物に指定されました。
夜の帳を背景に、満開の桜は幻想的な美しさを醸し出し、緑の大地にどっしりと根づく古木の幹と対比させることで、小さな花片はいっそう可憐な趣を示しています。また辺りの暗さと舞い散る花びらのせいでしょうか、妖艶さや儚ささえ感じられることでしょう。一方、作品名の「花嵐」は「桜の咲く頃の強い風、またその風で花が散り乱れること」を意味します。桜を愛でながら、風に吹かれ、音に耳を澄まし、匂いを慈しむ。名木を前にした時の画家の感動のすべてを表現した傑作と言えるでしょう。
作者は日本の四季を題材とし、季節の移ろいと自然が魅せる彩りや風情に目を向けた作品を多く制作しています。師事していた川端龍子からは、「誤り違うことなく本質を見よ」と教えを受け、物の生命力そのものを絵で表現するために、常に技術を磨いてきました。
本作は、春の宮島の厳島神社に取材した作品です。磨かれた画力を存分に振って細やかに描いており、舞い散る桜の儚さと、コサギが持つ生命力が互いを引き立て合っています。そこに、荘厳な社と春霞が加わり、作品そのものが神秘的な雰囲気をまとっています。春の宮島ならではの美しさが表現された、優雅で気品の溢れる名作です。
作者は趣味である釣りをしている際、釣れない時は自分の身の回りの景色や音を堪能しながら、ゆったりとした時を過ごすそうです。日常のひとつひとつの出来事やいのちに目を向け、それらが持つ愛しさや美しさを作品に昇華しているのです。
この作品では、夕月に照らされ、花を咲かせ始めた梅が描かれています。タイトルである《夕月夜》とは、夕方に見られる月を指しており、淡い月明かりが梅の儚さと美しさを引き出しています。蕾は今にも開花しそうなものから、まだ芽吹いたばかりのものまで描かれており、梅の花を通して時間の流れを感じ取ることができます。出会うもの全ての出来事に意識を向ける、作者の愛情が込められた作品です。
作者は、完成や終わりがない世界・物語を表現していきたい、という気持ちから芸術の世界へ進む決心をしました。自身の作品が「人さまの何かのよりどころ」になって欲しいという想いを強く抱いており、モチーフであるイルカはそんな作者自身の気持ちを表現しています。
〈ほんのりと〉シリーズは、「海の生きものに人の営みを重ね」、夢が溢れる物語が表現された作品です。本作もそのシリーズの一つで、大きな一匹のイルカの内側で、芸術品に囲まれた暮らしが表現されています。作者自身でもあるイルカにこの世界が内在していることから、夢が溢れる世界のよりどころになりたいという作者の想いを表現した作品です。
作者のライフワークにもなっている、光と風で様々に変化する水面を描いた〈みなも〉シリーズ。
この《みなも-映-》はそのシリーズに連なる作品です。光に照らされて輝く水面の一瞬、“映”が、細密で丁寧な筆遣いと淡く優しい色彩によって描かれています。また、作者は作品を制作する際の心情として「何かものを捉える時に“聴覚で捉える”ことが私の中では重要な事」と述べています。この作品も作者の言葉の通り、耳を澄ますと風の音や水の音が聴こえてくるような、五感を通して一瞬の光景をゆったりと感じることが出来る作品です。
「シュプリンゲン」とは「飛翔」という意味が込められたタイトルで、躍動感あるイルカがモチーフの作者の代表的なシリーズです。このシリーズは、作者が故郷の佐渡から上京する際、寒い冬の海の水面を勢いよく蹴って進んでいく野生のイルカと出逢ったことをきっかけに制作されました。
本作では、色とりどりの波の上をイルカが勢いよく跳躍して進んでいる場面が表現されています。波の大きな動きと、跳躍するイルカからは力強さと未来へと進んでいく勇気を感じることができます。当時、故郷を離れて上京することに、不安と寂しさを感じていた作者がその姿に元気と勇気をもらったように、見た人が明るい気持ちになるような生命力溢れる作品です。
森田りえ子は神戸出身ですが、伝統的な建物や四季折々の花に魅力を感じ、京都へ移住しました。
京都の舞妓や、エキゾチックな女性像、春夏秋冬を彩る花鳥画等、手がけるテーマは幅広く、その中でも花鳥画が注目を集めています。菊を題材とした作品は出世作でもあり、今では画家の代表的なモチーフとなっています。
手がける菊の作品には「直球で命の豪快さを描きたい」という想いが込められており、花弁の伸びや躍動感を表現する為に、花びら一筋ずつを下書きなしで即興で描いています。菊から満ち溢れる生命力は観る者を引き付けて止みません。
菊を描くきっかけとなった瞬間を作者は次のように述べています。「一本の糸菊の花が、夕暮れの中で浮かび上がる光景を目にした瞬間、なんて凛とした生命力に満ち溢れているのだろう!と思わず描く手を止め、花の姿に釘付けになったのです」。
現在、京都在住の画家にとって、京都の町並み自体が博物館そのものであり、そこで多くの知見を身につけ、インスピレーションを磨き、今では「花の画家」と呼ばれるようになりました。様々な花の作品を描いている中でも桜は人気のあるモチーフです。「三日見ぬ間の桜かな」と言われるように、開花時期が短く、画家はそこに注目し、喜びも悲しみも刹那に「散る美しさ」を表現しようと試みました。
この作品は月夜の桜の、蕾、半開き、満開、散る瞬間までが描かれており、一枚の絵で花の生涯を見ることができます。作者が花鳥画のテーマに掲げている「生命賛歌」そのものであり、まさに散り行く花のドラマを再現している佳作といえるでしょう。
中島千波が桜を描き始めたきっかけは、速水御舟《春の宵》との出会いです。
その後、毎年のようにスケッチ旅行に行き、自然の中で生きる桜の神秘的な瞬間を描き続けました。同じ名所の桜を描くのは、春夏秋冬の自然の脅威に耐え続け花を咲かせる桜に美を感じるからだそうです。
この作品は、山梨県の天然記念物、樹齢400百年を越える大糸櫻を描いています。地元では「花が一斉に開くときは豊年」との言い伝えがあり、神木として崇拝されています。夜に舞う桜の花びらは妖艶で、満開に咲き誇る姿からは生命の儚さを感じられることでしょう。花びらの一枚一枚を繊細に描く一方、木の人生を表す幹はどっしりと大胆に描いています。自然界に生きるものはいつか枯れる、今の美しさを「残しておきたい」という画家の想いが現れた作品といえるでしょう。