四季の移ろいに合わせて、池で泳ぐ鯉の姿を、5つの画面に描き出した大作です。向かって右から、晩春、初夏、残暑、秋、初冬の場景が描かれています。それぞれで鯉の優雅に姿が描かれている一方で、サクラ、ヨシ、スイレン、モミジ、枯れたヨシが季節感を醸し出しています。特に初冬の場面では、7匹の鯉が頭を摺り寄せ、放射状に集まる様を見せており、鯉の観察と写生を多く行ってきた画家ならではの表現かもしれません。
ノーベル文学賞を受賞した川端康成から、「美しい日本に折角生まれたのだから、あなたは日本の四季である春夏秋冬を英遠のテーマにしたら良いと思いますよ」との言葉を画家はたまわり、康成没後は遺言として画業に邁進してきたと言います。「季節ごとにめぐる自然の光彩は日本の詩情となり、心を慰め、花鳥風月と遊ぶ文化の特質をはぐくんでくれています」と、画家自ら語っているように、この《池心生生》は、その詩情と文化の特質が余すところ無く表現されている代表作と言えるでしょう。
ほのかに光が射す石垣を背景に、空に向かって咲き始めた蓮の一群が描かれています。蕾から満開のものまで、5輪の花が各々開花の過程を示すように、一つ一つの様相が異なります。淡いピンク色の花弁は、雨後の雫をためるハスの葉の緑青と石垣の黒に映え、清澄な趣がいっそう高められているように感じられることでしょう。
この《慈雨の後》は、<春夏秋冬 -彩遊- 牧進>展に出品されました。その図録の冒頭で、画家は「制作に当たりましては、悔しいかな「年齢には勝てず」を思い知らされる一面もありましたが、気力を振り絞り、今の私の全力を出しきった作品が、ここに形をなしてくれております」と語っています。喜寿の年を迎えてなお、衰えを感じさせない優品と言えるでしょう。
画面の中央に木製の橋がかかり、その上下に群生する白と青のハナショウブを描き分けています。簡略化された橋と、大振りに描かれた葉が、かえって写実的な花弁を引き立てていて、緻密さと大胆さが共存しているとも言えるでしょう。
この《仲夏》は、江戸時代の絵師・尾形光琳《八橋図屏風》(メトロポリタン美術館蔵)にインスピレーションを受けた作品であり、画家一流のオマージュであると考えられます。光琳の《八橋図屏風》では、群青のカキツバタの群生が描かれているのに対して、この《仲夏》では、ハナショウブが描かれています。この年、58歳を迎えた画家は、この花にどのような想いを込めたのでしょうか。
冬の頃、澄んだ快晴の日の富士山が描かれています。その山容は台形型で安定感があり、しかも、前景の常緑の針葉樹と冬枯れの広葉樹との対比が、いっそう青空に映える冠雪の富士の、凛とした表情を引き立てています。
一方で、宝永山が肩口にないことから、山梨県側からの景色であることが見て取れます。またこの《快晴冬季不二》のスケッチや下絵を見ると、富士の姿は忍野八海からの、前景の木々は河口湖の南都留からのスケッチを基に描かれていることがわかります。
中島千波は、富士の思い出について、次のように語っています。「大学時代にもセザンヌの技法を真似して描くなど、あらゆる方法で富士を描いています。父親とも富士の写生に度々行きました。ですから山シリーズで最初に描き始めたのはもちろん富士山です。四季折々の姿はやはり絵になりますね。今度は駿河湾側からのスケッチに行く予定です。」
日の光に照らし出された紅白の臥龍梅を描いた作品です。白梅は、苔生した幹が螺旋を描きながら上へ上へと育つのかと思いきや急降下し、力強くうねりながら地表すれすれで再び空へと伸びていくかのよう。その花は、写実的な樹皮の表現とは対照的に、白く霞んで幻想的な趣をたたえています。他方、紅梅は、右上に軽快な様子で描かれており、白梅が醸し出す雰囲気を引き立てているかのようです。
画家は、この月知梅について、次のように語っています。「出合ったのは、1988年に宮崎の高岡町を訪れた時が最初です。典型的な卧龍梅の力強いフォルムに圧倒されながらも、夢中でスケッチを続けました。地に伏せた枝から、再び空に手を伸ばすように伸び上がる、たくましい姿に魅せられました。・・・奔放に逞しく、また踊るような枝振りを屏風一面に描くときの、時間を忘れる情熱と感動は今でも懐かしく思い出されます。・・・今でも、梅の大作を描く折には、常に「月知梅」を意識して描いてしまいます。・・・やはり『月知梅』の天に伸び上がる枝の生命力に惹かれてしまうのです。」
石垣を背景に、満開の紫陽花が大画面に描かれてます。青、赤、紫、白と色とりどりの花を咲かせる一方、金霞が荘厳な趣を醸し出していると言えるでしょう
画家は、この《紫陽花》について、次のように語っています。「紫陽花は生命力が非常に強く、地植えにすると3年も経たないうちに大きな繁みを作ります。その手鞠のような花は、青や紫、ピンクと変幻自在に花色を操っていて、日本の梅雨を艶やかに染め上げます。石垣の隙間に植えられた紫陽花は、緑の葉の中で宙に浮いたように咲いていました。その配置が玉のような紫陽花の愛らしさを強調しているような、新鮮な感動を覚え創作意欲をかきたてられました」。
平成4年 第10回京都府文化賞奨励賞を受賞し、海外研修に行った成果が垣間見える佳作です。
ここでは、太陽を中心にすえつつ、朝と夜の場景が、エキゾチックな三人の女性で表現されています。彼女たちは、生き生きとした美しい容貌をたたえつつ、堂々とした様相で、偶像的な宗教性も醸し出しています。画家は、この作品について、以下のように語っています。
「この作品は、古代エジプトの太陽神からインスピレーションを受けた作品です。中央の女神は太陽の象徴です。東大寺・法華堂に祀られている不空羂索観音像と同じように8本の腕を持ち、背中には銀色に輝く翼を大きく拡げています。右は朝、左は夜を表しています。大きな太陽のエネルギーを頭上に受けて、朝の清浄な日光も、夜の怪しく輝く月光も、すべて体に受け止め、今まさに大空に羽ばたこうとしています。新しい時代を切り開く女性の、溌剌とした姿を描きたいと思いました。」
ここでは、青々とした大振りの葉をつけた、大輪の牡丹が描かれています。淡いピンクの花弁は、緑の葉に良く映え、また古木の風情をたたえる苔むした幹は、長年にわたって花をつけてきたことの証です。「花の王」の呼び名に相応しい、品格さえ醸し出していると言えるでしょう。
牡丹について、画家は次のように語っています。「昔から多くの作家がこのテーマに挑戦しています。最初はこの花の持つ豪華な美しさに目を奪われますが、私は、大地に根を張り、天に向かって大きく広げる葉の存在に愛おしさを感じます。「花より葉っぱ」に時間をかけてじっくり観ていると、わずかな風にそよぐ葉のざわめきや、大地や太陽からの恵みをたくわえ、しっかりと花を支える枝や茎、雨風から蕾を守る若葉色の愛らしい萼の存在、そんな脇役たちにスポットを当てて描いていきたいと願っています」。
花鳥風月を得意とする画家ですが、これまでに、舞妓やアジアの女性も良く手がけています。ここでは、同じ女性像でも、今の若い女性を描き出すことに挑戦した意欲作と言えるでしょう。
この《KAWAII》について、画家は、自身の言葉で次のように語っています。
「最近の若い女の子はやたらに「かわいい」を連呼します。どこが?! 何でも「かわいいー」なのです。そのメッカはどうやら原宿あたりらしい。というわけで久しぶりに原宿竹下通りに出かけてみました。この界隈の混雑ぶりは有名神社の初詣ほどに混みこみ。ティーンズをターゲットにしたショップや飲食店は人で溢れ、すさまじい活気でした。
道行く少年少女たちのファッションは、それぞれが個性豊かに自己主張し生き生きと輝いて見えました。私も思わず「かわいい」グッズや衣装を山のように買い求め、平成少女たちの姿を私なりに創り上げてみました。
作品の中の少女たちが身につけている衣装や小物は、実在のものに「遊び心」を加え、ひとひねりしたもので、私流「かわいい」を描きました。」
この屏風作品について、画家は「源氏物語のテーマに因む扇面を、季節ごとに散りばめた屏風です。二枚の屏風をリズミカルに交差させることで、テーマごとに2枚の扇面が呼応する構図に心を砕きました」と語っています。右上から、下へと視線を移していくにつれて、12ヶ月の季節の移り変わりの機微を感じさせます。琳派の装飾性を、画家の感性で今風に編み上げた煌びやかな屏風と言えるでしょう。
①「梅枝」紅白梅と松、竹/ ②「早蕨」蕨とすみれ、たんぽぽ
③「花宴」桜と柳、波/ ④「藤裏葉」藤と燕
⑤「胡蝶」蝶と源氏香の胡蝶/ ⑥「螢」ホタルとホタルブクロ
⑦「蜻蛉」トンボと芙蓉花/ ⑧「若紫」桔梗と萩
⑨「朝顔」朝顔と蜘蛛/ ⑩「紅葉賀」紅葉と菊
⑪「松風」松と波、千鳥/ ⑫「行幸」雪持ち椿と雪華紋」