画家は、この作品について、次のように語っています。
「2011年3月11日、日本国中を震撼させた未曾有の大震災と原発事故が、東日本で起こりました。日を追うごとに増え続ける死者、行方不明者の数…。家を失い家族を亡くされた被災地の方々の、悲しみに沈む姿を報道で目にするたびに胸が痛み、涙を流さずにはいられない毎日を過ごしておりました。
失意の中にいても季節だけはいつもと同じように過ぎていきます。4月の桜のピークが過ぎた頃、庭先の椿に目がふと留まりました。今まで創作意欲を掻き立てられることがあまりなかったその花に、釘付けになったのです。百合咲きという種類のこの椿は、ひっそりと葉に埋もれるように、花を下向きに咲かせます。ところが今年の花は違って見えました。花弁をぐっと天に向けて反り返り、真紅の花びらの中から白い蕊と黄色の葯を覗かせて、連なるように咲いていたのです。まるで花の一つ一つが、生きようと魂の叫びを上げているように感じられました。花に導かれるように、夢中で写生をし、出来上がったのがこの作品です。
被災された方々への鎮魂とエールの気持ちを込めて、タイトルを「生きる」といたしました。」
活力が漲っているような紅白の牡丹が、二曲一双屏風の大画面に描かれています。この牡丹について、画家は次のように語っています。「牡丹は別名「花王」「富貴花」とも呼ばれています。春爛漫の4月中旬、繊細な花弁を幾重にも重ねた大輪の花を、一本の茎に一つずつ付けます。その気品に満ちた見事な姿は、威風堂々としてまさに「花の王」の名にふさわしいものです。多年草の牡丹は年を重ねるごとに、木を少しずつ太らせ、たくましく成長してゆきます。「立てば芍薬、座れば牡丹」という美人を表現する文句がありますが、大地にしっかりと根をおろし、葉を大きく天に向かって広げる牡丹は、この世の春を精一杯に胸を張って生きる女性の立ち姿のように思えてなりません。」
芙蓉や桔梗、ススキなどの晩夏・初秋を飾る花が描かれています。その趣は、夏の盛りも過ぎた頃、「ゆく夏」を惜しみながらも、到来する秋の物憂げな風情を快く感じさせるようでもあります。
中でも酔芙蓉を、画家得意のモチーフで、その酔芙蓉について、画家は次のように語っています。
「早起きの花は数多くあります。特に芙蓉の花は、早朝目が覚めてふと庭に目をやると、すでにしゃんと涼しげに咲き誇っています。酔芙蓉は気温の上昇とともに花弁の色を変えていきます。朝8時頃までは純白。その後徐々に紅の色を増し、正午前にはなんとも妖艶な濃いピンクに色付きます。酔う芙蓉とは、まさにぴったりの名を付けたものだと思います。しかし一日きりの命、翌朝には深紅のしおれた花を、ぽたりと地面に落としています。」
(作家コメント)
弘法大師空海が開山したと伝えられる霊場弥山。霊火堂では1200年の昔から今も「消えずの霊火」が燃えていますが、それ以前より山岳信仰の地でした。宮島一、高い山は、伊藤博文に「日本三景の骨頂は頂上にあり」と言わしめた瀬戸内海を見渡す絶景が、ダイナミックな奇岩怪石の群立した山頂から望めます。地球創造から数百万年という時を経て形成されたその巨石群の山頂は、神が降臨するに選ばれざるをえない場所の一つと思えます。
(作家コメント)
季節は春、桜の頃。
千畳閣と五重塔のある丘から駒ケ林を望む風景です。
大聖院の緑青の屋根が印象的で、下方には宮島の街並みと厳島神社の屋根も見えます。
神格化された山の姿を描こうと思いました。
(作家コメント)
広島の大学在職中、宮島には何度となく通いました。地域文化財の白眉である平家納経を研究することになったからですが、当初はあまりに装飾的、工芸的に過ぎて距離を感じました。
けれど何事も続けてみるものです。装飾料紙の世界は唐紙つまり中国伝来の装飾紙への憧れからはじまり、宗達、光琳の様式美にもつながっていました。
少なからぬ示唆を与えてくれた広島や宮島の地との縁を感じています。
(作家コメント)
宮島口フェリー乗場から、宮島行きのフェリーに乗る。実に19年ぶりの宮島である。
デッキから懐かしい景色を眺める。「観音様の寝姿」といわれている山並みが徐々に鮮やかになってきた。まさに神の島そのもの。だが、その荘厳で圧倒的な造形は、どこかあたたかく、微笑ましい。
私はこの時、是非この不思議な風景の様をあらわしてみたいと思い、描くことを決めた。
(作家コメント)
広島湾に美しい姿を映す厳島神社は、平安末期に平清盛が新しい社殿を造営して平家一門の隆盛を願い氏神としました。平家滅亡後も源氏をはじめ時の権力者の崇敬を受け今日に受け継がれています。
時が移り、人が変わっても、その優美な姿とそこに秘めた平家の華麗で物悲しい歴史は、いつまでも人の心を引き付けていくことでしょう。
(作家コメント)
里山のいのち豊かな土地に育ち、山の草木や小さな生き物と遊びました。
自然のいのちがもつ温かな光のようなものに触れたとき、美しさを感じます。
幼い頃から、自然も絵も、私の側にいつも優しく寄り添ってくれているもので、
描きあがった絵は、私を、人や社会、世界を繋いでくれるものでもありました。
日本画を描く上で最も大切にしていることが“写生”による対話です。
美しさを通して見える形、色、そして線に。
写生で得たものから日本画へと昇華させる作業は、とても楽しく、自然を素材にした日本画の技法は、幼い頃、自然と遊んだ私の体質に合ったものです。
昨年、宮島の弥山の雪山に登りました。
石楠花の花はまだ咲いていなかったけれど、幼いころの記憶が何度も蘇りました。
大きな自然との対話にちっぽけな自分の痕跡が残っていく不思議…。 面白い!
(作家コメント)
夏の日 取材の為 安芸の宮島に向かう。電車と船を乗り継ぎ着いた島は昔訪れた時よりも少し大きく感じた。
世界遺産として歴史的文化的価値があり 景勝地としても日本三景に選ばれているこの地、高低差のある道を歩きながら その空気を先ず体感する。
高台から爽快な風景を眺めながら海岸沿いまで降りていき 厳島神社に伺う。
大鳥居に惹かれて中に入ると、朱色の美しさに心奪われた。
信仰の場であると同時に、水との構成が独特な浮遊感を持たせる建築は造形物としてもそこに立つ者を充分に満足させてくれる魅力がある。
高舞台横を通って向かいの赤眩い廻廊に目をやると、背景には生命溢れる木々の緑、青澄の空 湧く白雲。
高く飛ぶ一羽の鳥の悠々とした姿は それらを眺める自身の眼差しにも似て見えた。