(作家コメント)
何度か訪れた宮島であるが、⼩春⽇和のその⽇初めて弥⼭に登ることになった。
ロープウェイからは群緑に広がる海が圧巻であった。
弥⼭に続く険しい⼭道から後ろを振り返ると、先ほどロープウェイを降りてすぐの展望台 を俯瞰できた。
⼭の麓で⾒た紅葉などない深緑ばかりの⽊と無彩⾊の岩からなる頂に、⾊とりどりの観光 客が点在している。 おもしろい光景だと思った。

(作家コメント)
作品制作のため宮島を訪れたのは三月の中頃であった。満潮の瀬戸内海に浮かぶ大鳥居や厳島神社の佇まいに期待を寄せて早朝の連絡船に乗った。生憎の雨で島々が霞んで見える。
しかし、その細く降る春の雨は社殿の背景となっている山々を白く包み込み、大鳥居と本殿の朱色を鮮やかに浮かび上がらせていた。1400年の時を越え受け継がれてきた荘厳な神域へと誘う思いがけない演出に出会うことができた。

(作家コメント)
自然崇拝の対象として代表的な厳島をテーマに制作する機会を頂き、制作に入る前にまず島が持つ神秘性を十分にイメージすることが重要でした。その上で厳島そのものを描くよりも、山や海、火や水を恐れつつ共存する女性像を描こうと思いました。血の通った生身の人でありながら、神話を感じさせるような存在を表現したいと思い制作しました。

(作家コメント)
波間に立つ大きな大きな朱塗りの鳥居に圧倒されました。
波が引き、人が足元に寄るとその壮大さが引き立ちます。
古来から、お参りの方々がその立ち姿を見上げていたのかと、花冷えの中、凛と立つ鳥居に寒さも忘れて見入ってしまいました。

(作家コメント)
夕刻、厳島神社の大鳥居は、対岸の山々を背景に、堂々とした佇まいを見せます。刻一刻と変わるその姿は、感動を覚えるくらい神々しく感じました。
群青の中に朱を装飾的に用い、波紋が画面の流動感を表現するように描いてみました。逢魔が時、とも言われるこの時間帯、荘厳なこの大鳥居が邪気を払い続けてきた時の流れを、作品から感じていただければと思います。

(作家コメント)
広島の地を離れて随分と時が過ぎ、久し振りに訪れた厳島は春雨にけぶっていた。
満潮の厳島神社、その荘厳な美しさにはいつも心打たれる。
引き潮の時には人々で賑わっていた大鳥居に潮が満ち、楽しげに集う水鳥たちの光景にも
心癒される。

(作家コメント)
日中は星の様な花を魅せる睡蓮(未草)は、夕方にはその花を閉じ、水に睡る。
色彩をなくした夜に浮かぶ景色は、静けさの底に目醒める。
夜の水面に浮かぶ月。
月の光に白く浮かび上がる未草の葉。
その葉の上に煌めく数粒の水。
その全てが月夜に出会う真珠の様。

 作者は、「和を楽しみ、いのちを描き、出会いを喜ぶ」ことを信念に、四季をテーマにした花鳥画や静物画を多く手がけています。作者は出会いを大切にし、何気ない景色でも、季節・天気・時間の変化や、その時々の気持ちで見え方が異なるため、今でも新しい出会いを求めてよく散歩に出かけているそうです。
《蔦》は、作者の故郷である、京都の稲荷山を描いたものです。紅葉した蔦に実をついばみに来た雀からは、作者のいのちあるものに対する愛情が感じられます。一方で、あえて古い金屏風から切り取った絹に描くことで、“古きをたずね新しきを知る”という姿勢が表現されています。背景の金屏風と絵が馴染むことで、作品の上品さと気高さがより際立っているとも言えるでしょう。
この作品を通して、作者が出会った光景に込められた想いを共感してみてはいかがでしょうか。何か新しい出会いがあるかもしれません。

(作家コメント)
広島にすばらしい桜があると聞き、訪ねてみました。周囲には桃源郷のような趣きがあり、静けさ自体が美だと感じました。
桜がスケッチする私をのぞき込んで来た気がして、神秘的な一体感に包まれました。
夜、月明かりに照らされたこの桜に想いをめぐらして描いたのが、この作品です。
スケッチの様子は私の公式ホームページの「バックステージ」欄(2019年5月)に載せています。

「緊張の一と時、静寂の一と時、時は止まる。無心になる時、音は響きはじめる。トン。…トン…トンと。」この作品に対する作者の言葉です。

強く芯のある瞳、一本一本丁寧に描かれた髪の毛、小鼓を打った余韻を感じさせる指先のしなやかさ。きめ細かい人物表現で、女性の所作の美しさが感じ取れます。

色彩の使い方も非常に巧みです。背景の金箔は、単なる視覚的な煌びやかさだけでなく、神聖な空気を表現しています。そして着物は、この背景に負けない鮮やかな赤で染め上げられており、女性の存在感を際立たせています。

他方、着物の帯を見てみると蝶があしらわれています。蝶といえば春のイメージですが、平家の代表的な家紋でもあります。平家は広島にもゆかりがあり、清盛公が宮島の厳島神社を篤く信仰していたことでも知られています。描かれたものどれ一つとっても無駄のない、まさに洗練された佳品といえるでしょう。