(作家コメント)
山の姿が天候により時間により変わってゆくのを見、おどろき写生して来ました。
合計5日間の取材では到底描けるものではなかったようです。
宮島の山の姿を描きながら「諸行無常」の様を感じ、これからの課題として、これからも前進してゆきたいと思っています。
美人画を得意とする若手女流画家の作品です。ここでは、画家の広島生まれの友人をモデルに、桜の木の下でたたずむ着物姿の女性が描かれています。その表情や指先の柔らかさは、女性ならではの魅力をたたえ、冴えた背景色との対比によって、その魅力がいっそう際立っていると言えるでしょう。
作者は、「風に乗って届いた春の便りを受けとり、華やぐ気持ちとはうらはらに散りゆく儚い想いを抱く。その手紙には何と書いてあったのだろう」と語っています。桜といえば春の便りですが、彼女が受け取ったメッセージは、恋の終わりだったのかもしれません。一方、力強い眼差しは、古い季節に別れを告げ、新たに進んでいく彼女の決意を感じます。
(作家コメント)
古の人々が見た風景は
心の中にとどめおかれ
想いは次の世代へと
受け継がれる。
厳島神社での参拝を終えた帰路の途中、御手洗川に沿って柳小路を歩き、弥山の方を眺めると見えてくる光景です。
この深緑が眩しい小路には、かつて多くの神職が住まわれていました。通りを挟んで点在する棚守・上卿屋敷跡や粟島神社、野面積みの石垣は往時の街並みを伝えるもので、その道は大聖院へと続いています。この真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山は、806年に空海によって開山された関西屈指の名刹。そんな観音堂の大屋根や摩尼殿の仏塔からは、荘厳な趣が感じられるでしょう。
本作の取材のために初めて宮島を訪れた画家は、予想を遥かに超えた賑わいと混雑を抜け、偶然たどり着いた場所を絵にしたといいます。よく見ると消防栓・簾・街灯等も描かれていて写真のようですが、これらを画角に入れると本来の寺院は遠景で、いっそう小さく見えます。写生に基づきながらも街並みの遠近をギュッと凝縮し再構築することで大聖院の重厚さと存在感が増し、理想化された風景が表現されています。現地を訪ねて、実際の風景と比べてみてはいかがでしょうか。
(作家コメント)
取材で初めて訪れた安芸の宮島は、予想をはるかに上回る海外の方々と修学旅行の団体でにぎわっていました。そんな中、まっすぐに歩けないほど混雑している多くの場所を抜け、偶然たどり着いたこの滝小路は思いのほか静かで、周囲の風景も楽しみながら正面の大聖院に向ってゆっくり歩いていくことができました。本作ではその時に感じた雰囲気を、自分なりの方法で描くことを目指しました。
(作家コメント)
毎年大和の当麻寺の奥院まで取材に行くのが年中行事になっていますが、今年は広島県の三原にある大番ぼたん園を訪れました。当麻寺を彷彿とさせるような敷地に2千本以上の株が植えてあります。10連休の少し前、満開の牡丹が心地よく香りを放っていました。この地で年月をかけて育ち、毎年大輪を咲かせ続けてきたことを知りました。時と共に浄化を祈るよう素晴らしい花弁を束ねていました。
(作家コメント)
この数年で何度か厳島で取材をしました。行くたびに弥山の山頂まで登っていたのですが、幸運にもいつも天気が良く、穏やかな瀬戸内の景色を目に収めることができました。
今回はその時に描いたスケッチや記憶を再構成し、瀬戸内のおおらかさや明るさの印象を表現できればと思いながら描きました。
(作家コメント)
自然に対する畏敬の念、あらがうことのできない病など、
いつの世も、そしてこれからも、人は自然や神々に願いを寄せる。
神の島、宮島の象徴ともいえる厳島神社に、私も願いを込めて描いた。
本殿の前に立った時に感じた澄み切った気韻、静寂。
神の御前での、その距離感が、とても私にとって心地の良い間に感じられた。
平家納経にも用いられている切箔、野毛などを、
願いの光として添えている。
滔々と流れる群青の山河に浮かぶ紅葉と、空に輝く金色の三日月が印象的な作品です。
この作品で「刹那の美」を表現したかったと画家は語っています。「草も木も、みんな人間と分け隔てなく尊び、自然を「生命の輝き」として精神化する。・・・波間に漂い、消えゆく真紅のもみじのはかない一瞬のきらめきに、私は祈りの気持ちを籠めながら、画面いっぱいに金箔を鏤めた。」
他方、水の流れは半円を重ねた古典的な青海波模様で、また草花が茂り白砂が敷き詰められたような岸辺は厳島神社の国宝《平家納経》にも見られる「料紙」という伝統的な技法で表現されていますが、画面からは現代的な情趣が感じられます。高い精神性と豊かな装飾性で錦秋の風物を昇華した逸品と言えるでしょう。